綴:チエリ

木のみ木のまま

山川製材所

木のみ木のままというブログ。
https://ameblo.jp/mukugi-kinomikinomama

このブログは先代社長(父)が昔のホームページ(.htmで終わっていたURL)で書き溜めていたものを
サーバーがパンクして潰れてしまわないうちに私が2016年にアメーバブログに移したものです。

インターネットやホームページという概念が世に出だしてから
父の飛びつきは早かったようで、割と初期にこのmukugi.comというドメインを取得。
当時のシステムで一つずつブログとしてページを作って更新していたため、紐付けが大変で
私が見た時にはもうぐちゃぐちゃになっていたのですが、「ホームページ・ビルダー」を使いこなしていた。
晩年、自費出版で本を書くくらいだったので、自分の言葉を文字にする作業は得意だったよう。

自分が書き記したかなりの独断と独善なブログ記事の閲覧数をやたらと気にしていて
よく「花粉症の記事と、電磁波の記事ホットカーペットの記事が一番みんな読んでいるみたいだ」とか
「ヨーロッパからのアクセス数が伸びている!」とか言っていた。

なので、アメーバブログに移すことにあまり理解を示していなかったのですが
今となってはサーバーも乗り換えて、消えてしまった父の記録。
インターネット上の別のプラットフォームに残しておいて
今本当に良かったと思いました。

実はコピペして移していた時は一つひとつの記事をちゃんと読んでいなくて、
父が亡くなって、会社の再構築もひと段落、やっと
生きていた頃を思い出せる余裕が出てきたのか、
あの時残しておいたアメーバブログの存在を思い出したのです。

そしたらこんな記事を書いていました。
https://ameblo.jp/mukugi-kinomikinomama/entry-12209674178.html

「都市近郊の過疎の町」というタイトル。
自身が生まれ育った我が町の再生プランを売り込む、という内容の記事。

私が、この有限会社志木の一員になったのが確か、2015 年。
ん、、、!? もう10年が経とうとしている。

その時から井手町マスタープランの話はよく聞かされていたし、
建築事務所の、直接関係のない来客にもよく雑談でこの話をしていた。

正直、父は地域の人とあまり関わりを持ってこなかったと聞いていたので
今、私がこの井手町に住んでよく聞く近隣の人に父の思い出話は少ない。
80〜90代の人たちが話してくれる内容はほとんど、祖父母の記憶。

昨年、私がクラウドファンディングに挑戦した時に、
近隣のたまたま出会った方々に自分の活動を応援して貰おうと話した時
「あなたのお父さんは町の取り組みや会合に協力的でなかったから、ごめん」
と言われたことがあった。

やはり、そうだった。

急に町の活性化!という旗振りを始めてこんなふうに思い立って町役場に話を持っていって
誰が協賛するのだろうか。

私は、その必要性も感じていたが、
机上の空論だな、と当時、冷たく見つめていたと思う。

それよりも、うちのこの足の踏み入れる隙もない雑多な製材所や倉庫、
動かしていない木材や機械どーするつもりなんだろうと
ずーっと私は思っていたが、本人は特に考えがなかった。

父はそんなことより、設計士であり、都市計画の事務所にも勤めていた経験から
町づくりプランの構想を練ることが楽しかったのでしょう、とても一生懸命だった。

最近、父と同じ立場になって行動が父に似てきたなと自分でも感じるようになっていたが、
こうやって書き綴っていると、やはり!父に似てきた〜とより一層思えてきた。

私は小さい頃から運動神経が良くて、男子にマラソン大会で目標にされる程の運動バカで
高校までは走っているか寝ているかの生活。大学生活もあまり濃い記憶はない。

逆に

父は、頭がよく、高学歴、研究者体質、また芸術的な個性もあったため「変人」が似合う人だった。
その点、上からの物言いというか、人前で偉そうな話し方をする時があって聞き上手ではなく、
人とのコミュニケーションが上手い方ではなかった。と思う。

そんな父をこの志木に来てから毎日みていたので
私は、親の嫌なところはほっといたらそのまま引き継いでしまうだろうから
無意識にこの数年、そうならないよう自分を演じていたと思う。

けど、多分それは肌感ですが、、功を奏している。

父に似てきている自分に対して嬉しいのか悲しいのか、わかりませんが。。
天国から見守りつつ、時々上から操られているんだろうなと思うような気がしてなりません。

でもなんとか路頭に迷わず、意志を強く持ち、今もこうやって地に足をつけて過ごせている、と実感できているのは
紛れもなく父の、自分の故郷をなんとかしたいという熱量を後世に残してくれたおかげだと思います。

よく、生きている間にもっと親孝行してあげればよかった、
と後悔を感じている人も多いですが、私は生きている時なんてきっと満足できる親孝行はできなかったと思う。

なぜなら私は父が生きている間に結婚しようとして失敗したことがあるからだ!
結局、自分のタイミングでしか、親孝行なんてできない、と感じた。

家族が健康に生きているだけで、むしろ親孝行。
うちは毎日が母の日であり、父の日であり、誕生日である。
感謝は行動に出る。
まめにお墓参りに行けなくても、ちゃんと先祖代々の土地を守ろうと努力している。
それがたとえ、先行かなくなっても、ちゃんと向き合ったから失敗しても大丈夫だ。

そう思うようにしている。

たとえ、亡くなってから親孝行できなかったと気がついたとしても、後悔してたとしても、大丈夫。
天国へ旅立ってからでも十分行動に移せる。

こういう考えがあっていいのでは?
だから幸、後悔なんてこれっぽちも感じていない。

それと同時に、大変なことを逃げずに向き合い、楽しむ力、育てていただきました。

とりあえず、今日はここまで。